2.17
こんにちは。
鼻垂れ小僧です。
風邪って嫌ですよね。
今回は就寝前に鼻水垂れてきて、
あっ、このまま寝たら喉やられる奴だって思って、
寝て、
翌日、案の定、喉をやられました。
体調不良は転機の前触れなんてことを聞きますが、
さてどんな転機が舞い降りてくるのか。
今回のテーマは、そんな身近な病について話そうと思います。
物騒ですね。
皆さん、「優しい人」って聞いて想像できる人はいますか?
今、思い浮かべてみてください。
一人くらいは、想像できるんじゃないでしょうか。
その人はあなたの頭の中できっと笑顔で笑いかけてくれるでしょう。
でもよく考えると、
その優しい人の「優しさ」ってなんなんでしょうね。
「優しさ」=「相手の為に行動する事」だと言っている方がいました。
仮にそうだとしてみましょうか。
以前のアカウントで、こんな二択を聞いてみたことがあります。
「残酷な真実と嘘、最愛の人に伝えるならどっち?」
あえて前提条件は無しです。
初めての方も想像してみてください。
先に言っておきますが、これには正解も不正解もないです。
善も悪もなく、ただ考えるキッカケにしてください。
実際これ、めちゃくちゃ意見分かれたんですよね。
前者を選んだ人は…
どうあっても嘘はよくない
辛いかも知れないけど、お互いに受け止める
隠し通せる自信がない
後者を選んだ人は…
伝えなくてもいいことが世の中にはある
相手を傷つけたくない
自分が受け止められない
など、様々でした。
実際これは前提条件が違えば、選択なんていくらでも変わります。
その人の為になる事は、状況やタイミング、
自分や相手の背景や価値観によって如何様にでも変わるものです。
優しさを追い求めすぎると路頭に迷うのは
なんとなく見えてくるんじゃないかと思います。
それでも相手に優しくしないと気が済まない人がいます。
もはや、「優しさ」=「相手を傷つけない事」だと認識している人かも知れません。
ずっと謝ってばかりの人、
ずっと遠慮している人、
ずっと自分のことを後回しにしている人、
ずっと謙虚に距離感を測る人、
ずっと慎ましく意見を押さえ込む人、
一人くらい、たまに見かけませんか。
なんだか優しさに苦しめられていそうな人。
人一倍気を遣っている人が、人一倍疲れるってなんだか変な話だなあと思うんです。
俺の好きなアーティストが
「(ある意味では)優しさは病だ」
と謳っているのがよく響いたんですが、そういう人が身近に多い気がしますね。
決して、優しいことが悪いことだなんて思いません。
むしろ本当に素晴らしいことで、
人の心を揺らし、動かし、満たす上で、なくてはならないものこそ「優しさ」で
現代社会で不足しているもののひとつなんじゃないかとすら思っています。
俺自身も人に優しくなりたい(優しい心を忘れない)一心で、
今年の目標のひとつを「利他」としているし、
「優しさ」から発展して心からのもてなしでお互いの満足度を高める
「ホスピタリティ」を重視し、それが功を奏して成功しているビジネスもあります。
どうでしょう。
社会は「優しさ」に飢えてるんじゃないですかね。
それに気がついていながら、
優しい人から優しさだけを搾取する人って、存外多いんじゃないですかね。
俺も人のことを言えた義理じゃないですが。
だから、優しい人は自分に自信を持って欲しいし、
自分の優しいから目を背けないで欲しいとも思っています。
こんな逆境の中、優しくあれる人は、そうそういないと思います。
優しい人は多かれ少なかれ、損をします。
相手の直接的な得に成り得ても、
自分の直接的な得にはならない事が多いんだから。
ましてや、自分の優しさをちゃんと承認してあげないと
「優しさ」=「病」になってしまうなんて恐ろしいです。
でも優しい人って、最初に頭に浮かんだように、
誰かの頭の中でずっと笑顔で居られるもんなんです。
それってとっても暖かい事だなあと、俺は思います。
「優しさ」はちゃんと温めて「病」でなく「健やか」なものにしていきたいですね。
なんてことを、風邪を引いて動けない状態で毛布に包まりながら考えていました。
まじで風邪ひいてる時って「優しさ」=「人肌(???)」が恋しいよな。
俺の頭に浮かんだ優しい人は、、、おっと誰か来たようだ。
来るはずのない転機と優しい人を待ちながら、
病み上がりのホスピタリティ精神で、
明日も仕事、頑張ろうと思います。
おやすみなさい。